【感想】『僕は上手にしゃべれない』を読んで
こんにちは、かなへびです。
椎野直弥さん著『僕は上手にしゃべれない』を読んでの感想を綴っていきます。
読後の感想なので、ネタバレを含んでしまうことをご留意ください。
まず読み終わって最初に思ったのは、身近な人の優しさに気付くのは難しい、ということ。
この小説の中に「わかっていないくせに、理解していないくせに、中途半端に気遣われるのは、迷惑だ」というセリフがありました。
「誰も私の苦しみなんてわかってくれない」
そう思ったことは私にも幾度となくあります。それ故に、読んでいる時とても胸が苦しくなりました。
手助けしようとしてくれる人、救いの手を差し伸べてくれる人はいても、素直に受け止めることは難しい。だって、自分のことを完璧に理解してくれる人なんていないから。
だけど、完璧に理解することが難しくたって、頑張って理解しようとしてくれる人はいるんです。そういう人から目を背けてはいけない。優しさを無下にしてはいけない。
そんなことをこの小説から教えられたような気がします。
気持ちが伝わっていないと思ったならば、ちゃんと向き合って話し合えばいい。人間には『言葉』というツールが与えられているのだから。
この小説では「吃音症」というものがテーマとして挙げられていました。
障害者でもない、けれど健常者でもない。
私には吃音はありません。けれど、精神的なものはいろいろと抱えています。
だから「分かる」とは言えないにしてもこの立ち位置が苦しいことはなんとなく理解できるつもりです。
どちら側にいくこともできない。不安定な立ち位置。
症状こそ違えど、何だか自分と重なる部分が多くて何度も胸が苦しくなりました。
症状が良くなることはないのかもしれない、何も理解していない人から冷たくあたられることもあるかもしれない。頑張っても頑張っても報われないことだってある。
だけど、どこかにきっと救いの手を伸ばしてくれる人はいる。
失敗して恥ずかしい思いをした時はその人たちに頼ればいい。
だから自分の出来るところまで、精一杯あがいてもがいて頑張っていこう。
正直今の私は全力で頑張っているとは言えない状態です。失敗を恐れて何も踏み出せない。
そんな私に、少し頑張ってみようかなと思わせてくれたこの小説には感謝しかありません。
作中にも、あとがきにも書かれていましたが、私もいつかは誰かに何かを与えられるような存在になりたいです。
やはり自分の状況と近い主人公が出てくる小説には心動かされることが多いですね。
駄文でしたがここまでお読みいただいてありがとうございました。
ではでは。